【自分を押し殺した幼少期】私さえ我慢すれば、、、、
【自分を押し殺した幼少期】私さえ我慢すれば、家族は壊れなくてすむだろう。みんな幸せになるだろう。
心の中で私は自分を押し殺した。。
はじめまして。
働くママを応援する
かなさんです。
私は、
京都市で生まれ
自営業の父
看護士の母
6歳年下の妹
4人家族で育ちました。
幼い頃から両親は仲が悪く、喧嘩の絶えない日々で、1人部屋でよく泣いていました。
父は自営業をしていた事もあり、夜飲み歩く事が多く家に居ず、母は夜勤続きで夜に居ない事が多く、
私は妹に寂しい思いをさせないよう必死でした。
私さえ我慢すれば、親の言うことを聞けば少しは家族の仲も良くなるかもしれない。
私が家族を守らなければ
私さえ我慢すれば。
私はこの時自分を押し殺しました。
今思えば、その選択が間違っているのは分かります。
でも、その時はそれが1番の最前の方法だったんです。
そして、生きづらさを抱えて
大人へと育っていきました。
30歳になり私は結婚を考えた彼と結婚が怖くなり別れる事になりました。
この時、私は自分がどうしたいのか。どう感じているのか。全く自分の気持ちが分からず、パニックになってしまいました。
心理系の本やブログを読み漁り、
アダルトチルドレンだと分かり、
自分の感情と向き合う事をはじめました。
自分の過去を振り返るのはとても辛くて苦しかったです。
寝込む事もありました。
そして、30代で反抗期を迎えた私は母に辛かった事、寂しかった事を伝えました。
自分の心の声を聞けるようになり、
自分を責めることも少なくなり、生きづらさも少なくなった時に
今の夫に出会い結婚をしました。
36歳でした。
夫とは食べ歩くのが好きで、良く2人で飲み歩きをしたり、旅行に行きそれなりに
楽しく暮らしていました。
ただ子供が居ない寂しさを何となく感じていたので、40歳になり病院に通うことにしました。
診断の結果、自然妊娠は難しい事が分かり、高度不妊治療を行なう事になりました。
注射を打つのに、病院を通い続けました。
辛い思いもあったのですが、
子供の顔がみたいと言う思いが強く、
頑張って通い続け、子供を授かる事が出来ました。
小さい息子を抱いた時は最高に幸せな日々でした。
この子を絶対に幸せにすると思った瞬間でもありました。
小さい息子とずっと一緒に居たい思いもあったのですが、経済的な理由と、社会との繋がりも持ちたいと言う気持ちもあり、
出産から1年後に会社に復帰しました。
忙しい毎日が始まりました。
保育園の送迎、育児、家事、に追われる日々。
疲れて子供とゆっくり向き合う時間も取れない。
余裕が無くなった私は、子供にイライラし、感情的に怒ることが多くなりました。
こんなはずじゃなかった。。
もっと楽しく子育てしたかったのに。
このままでは私にとっても子供にとってもよくない。
私は働き方を変える決断しました。
在宅でビジネスをする事に決めたのです。
実際に何をすれば良いか分からずに
私はネットで色々調べました。
ブログなら4ヶ月で100万稼げる。
これだ!
私は60万という金額を払いブログの塾に
1年通いました。
しかし私が稼げた金額は1年で1万円でした。
4ヶ月で100万って言っていたのに。
私はこの時は、まだビジネスの思考がなく、作業をすれば稼げると思っていたのです。
大事な事を分かっていなかった私は、
また別の案件を探しました。
オンラインで子供向けの講座を販売するビジネスです。
SNS投稿が苦手で、毎日投稿出来ない。
Zoomで人前で話すことが苦手で体験会が開けない。
1年たっても稼ぐことは出来ませんでした。
そして、その時にMLMのビジネスにも出会いましたが、そこでもSNS投稿の壁、人と話すことの壁にぶち当たり、なかなか成果を出す事が出来ませんでした。
何で。
何で私は何をやってもダメなんだ。
自己嫌悪に落ちる毎日。
もう辞めようかな?
でも自己投資もしてるし、ローンも残ってる。
余裕を持って子供と関わる事が出来なくなる。
諦めたくない。
と悩んでいた時に、
今のスクールに出会いました。
何をやっても出来なかった私が
1つ1つサポートをしてもらいながら、
進めるようになり。
SNS投稿の苦手意識も無くなってきました。
私はビジネスとはお金を稼ぐだけと思っていたのですが、人の悩みを解決し幸せにするのがビジネスの本来のあり方だと教わる事ができました。
私はようやくビジネスとしての1歩を踏み出せるようになったのです。
ビジネスをしていく上では、正しい知識を知ることはとても大事な事だわかりました。
諦めなくて良かったです。
次回は
「人は人でしか変われない」
「覚悟と決断で人生は変わる」
についてお話ししますね。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。